悩み苦しみからの解放


悩み苦しみは辛いものです。悩みの種類はそれぞれですがこの苦しみから解放されればどんなに楽になるかと思います。幸せになるかと思います。悩みは様々ですが大まかに分けると「お金」「健康」「人間関係」の三種類です。この三種類の中でそれぞれ悩み苦しむことになります。知識として知っていてもこの苦しみから逃れることはできません。知っている道に迷うということです。知っていても迷うのですから、知らなければ苦しみの中に生き続け迷い続け翻弄されることになります。その苦しみは本人が気づくまでまとわりつくことになります。とても辛いことです。気づいても解決策を自分のモノにして悩みから解放されるまでは辛い苦しい時間を過ごさなければなりません。解決策が見つかれば嬉しいことですが見つからなければ苦しいままを過ごすことになります。ちょっときつい言い方をすれば辛い苦しい時間を選んでいるという人も中には見受けられます。具体的なことをここでは紹介しませんが本人が気づかないで苦しみの原因を大きくしている人もいます。苦しいことが好きなのではないかと思わせるような行動をとる人もいます。わざと苦しみの中に深く入ってゆくのです。傍から見ているとわかるのですが、このような場合には周りが助言しても言葉は耳元を通り過ぎるだけで苦しんでいる人自身は聞いていないのです。そして苦しみを分かち合える人の 自分を憐れんでくれる人の数を増やしていくことが目的になっていることに気がつかず 益々苦しみの中に埋没してゆくのです。哀れという他はありません。気付きのチャンスを与えることはできますがあくまでも気付くのは本人なのです。そのような時にはその人を見守るしかありません。

さて、気付いた人の特徴の一つはその人の中に感謝の言葉が含まれるようになります。浅い深いの差はありますが感謝の意味合いが言葉の中に感じられるようになります。するとその人の中に淡い光が射しこんできます。涙が流れ心の闇が洗い流される瞬間がやってきます。人それぞれですがそのような瞬間が訪れるようになります。晴れやかな清々しい世界が開けることもあれば一面広々とした世界が展開されることもありそれぞれの世界が展開してきます。暗い井戸の中に淡い光が射しこみ自分が優しい光に抱かれるような感覚に包み込まれる人もいるでしょう。細い光の帯が垂れるの会お感じる人もいるでしょう。とても有難い感謝の瞬間です。その時に小さい意味での「我」が出て優しい感覚を失うと元の木阿弥になることもあるでしょう。ちょうど蜘蛛の糸のカンダタの様に。

優しさに抱かれ自分は護られていたのだということに気づき感謝したいものです。

しあわせへの第一歩は感謝です。苦しみの中にあっても感謝です。今日も手を合わせ「ありがとう」「感謝します」から始めましょう。



令和四年六月二十六日(日)朝


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