『季節の変わり目に』


高い山に白いものが見えるようになりました。遠く鳥海山や月山には毎年のことながら間違いなく、遅い早いは有るものの必ず訪れてきます。近くの葉山にも白いモノがやってきました。昔から近くの山の三度目の雪を見ると里に雪が降るといわれています。しかしこの頃は突然数十センチの雪がどっと降り積もることもあります。

銀山温泉を訪ねてくる客は周回のバス券を首に下げていました。秋の紅葉を楽しんだり大正ロマン館より寺まで散歩を楽しんだり頭を白くした遠くの山々を眺め青い空と白い山と赤い紅葉とを優雅に眺め楽しんでいます。

今日 寺を訪ねて来られた方に御朱印ですかと声をかけると、いいえと云う返事が返ってきました。二人組の一人は赤いコートに身を包み黒い帽子を眉毛の所まで深くかぶり淡いグレーのマフラーを軽く首に巻き優雅に観音堂の前に立っていました。裾の長いコートはゆるやかな時間を楽しむようにゆったりと揺れています。

冬を迎えるため 忙しく屋敷の周りを片付けている里村の人々との動きとは別に そのアンバランスな様子が何とも言えない空気感を醸し出しています。流れている時間が全く別なのです。

御開帳中の先月までの巡礼とは違う空気が流れていました。巡礼は札所から札所へと忙しく移動をするわけですが観光は時間に追われることなく気分のままにゆっくりと過ごすことができ それが素晴らしいところです。とは言っても人によって違いがあり変わってきますが・・・

いずれにしても季節の変わり目を感じさせていただきました。

お二人を観音堂に案内すると入口の階段を上り周りを眺め終わり正面より少し右に身体を寄せ正座し 静かに手を合わせておりました。御堂の中にとても静かな時間が流れました。

 どちらからお越しですかと声を掛けると 大阪からです と関西訛りの少ない返事が聞こえてきました。目の前にある『お砂踏み』に興味を覚えた様子でしたのでその制作といきさつをお話させていただき順々と観音様とは何かという事について説明をさせて頂きました。

『思議』と『不思議』の意味を話し思いを巡らすことのできない世界と考えることのできない世界があるという事を説明し、考える為には 思いを巡らすためには、その材料となるものを得なければならない。知識という材料が無ければ思いを巡らすことも考えることもできない。知らなければ想像する事さえもできない。感じることはあっても考えられない。考えられなければわからない。その世界を不思議というのであり、わからないという事である。わからないというのは『ない』のではなく『わからない』のである。それを『不思議』と言い 分からない世界を探求するために知識を得るのだ。そして知識を超えるのだというちょっと難しいと思えるお話をさせていただきました。『思議』と『不思議』の内容に関しては次回に・・



令和四年十一月二十三日   上の畑観音別當 薬師寺住職 渡辺隆良


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