『友人』とは何か


おはようございます。

文章を書き続けるという事はとても難しいものです。今年の二月から始めさせていただいたわけですが実際にやってみると 続けてみると本当に難しいものです。毎週この文章を綴っている友人がおります。自分がやってみて初めて続けるという事の難しさを確認させていただいております。また改めて友人に頭が下がるという事が起きてきます。友人は私がこのように思っていることを知らないで居りますがその友人の存在自体が私の尻を叩いてくれているのも事実です。尻を叩いていただかないと中々前に進まなくなる時が来るものです。止めてしまえば楽ですがどこかに続けなさいという声が胸の奥から聞こえてくるものです。その声に押されながら今キーボードを打っているわけです。あらたに心を込めて続けてゆきたいと思います。この文章を書くという事を私は二十日近く休んでおりました。

先程 友人の事を書きました。友人にも『悪友』『善友』と色々ありますが善友について書いてみたいと思います。お釈迦様は真の友についてこのように教えてくれています。



友とは自分が成長することの気づきを与えてくれる人です。良き人になるような気付きを与えてくれる人です。

また友が転落しそうな時、冷静な判断ができなくなっている時に守ってくれる人です。世の誘惑より友の財産を守ってくれる人です。特に今の時代は友人のような顔をして財産を奪うような人が多くなっている時代なので特に重要なことでしょう。

また友が恐れている時に寄り添い 恐怖の原因をよく見て心の安定を与えてくれる人です。

最後に友が困っている時にいつもより多くの力をもって助けてくれる人の事を『善友』というのです。お釈迦様にはこのように教えていただいております。



ここで特に大切なことは このような人を求めるのではなく 自分がこのような人になる事に勤めることです。

ここで法則を紹介しましょう。『与えるものは与えられ 奪うものは奪われる』と云う事です。これはモノやお金ではなく心の世界では当たり前のことです。他人を先とすれば自分が遅れ 与えれば与えた分だけ自分の取り分が少なくなると思うのは当前と言えば当前ですが本当はそうではありません。

ここで知っておくことは自分がそのことをどのように思うか感じるかによって自分の今の心境が見えてくるという事です。自分が今 住んでいる境涯次元が分かってくるという事です。今の自分が住んでいる境涯次元によって見え方や感じ方が違ってきますのでそれをよくよく観察することによって友への接し方や助言の種類方法が見えてくることになるでしょう。また自分自身の進むべき方向が見えてくるようになるでしょう。

一つの基準としてお釈迦様は『善友』とは何か 先の四つについてお教えくださいました。具体的なことについては個々人によって変わってきます。



令和四年十二月二十三日   上の畑観音別當 薬師寺住職 渡辺隆良


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