明けましておめでとう


新年あけましておめでとうございます。といっても既に十日が過ぎてしまいました。月日が経つのは早いと昔から言われておりますがそれを強く実感するこの頃です。昔はさほど時間がたつことが早いとは思わず、むしろ一日を永く感じたものです。同じ一時間でありながらその場その時で永さと質を違うように感じていました。また自分の心境によっても左右されるものです。

実感している感じが今と昔では違うのですがこれは同じ文字を見ていても同じ文章を読んでいても 見え方や感じ方が人それぞれで違うのとよく似ています。今この文章を読んでいただいているあなた自身も、キーボードを打っている私とこの文章を読んでいるあなた自身も多分に見え方や感じ方が違うという事なのです。時間の長さを感じる事も時間の質を感じる事もそれぞれ違うという事なのです。どのように見えてどのように感じるかという事が全であり、感じた内容をどのようにするかが本当の今の自分自身なのです。

 例え話をいたしましょう。魚が優雅に池の中を泳いでいます。魚は水を意識することなく泳いでいます。とてもゆっくりとした時間が流れています。恋人同士が側の道を歩いて来ました。魚の泳ぎによって小さな波が陽の光に反射しキラキラと光っております。その様子を眺め二人は美しいねと穏やかに話をしています。白鷺が空から舞い降り石の上に止まりました。びっくりした魚は岩陰に身を隠し静かにしています。鳥は魚を狙っているのでしょう。近くの子供がやってきて、この池は深いから気を付けなくてはいけませんと談笑をしている二人に話をしています。幼い頃にこの池に落ちて溺れた経験があるそうです。水は恐ろしいものだという経験を通して話をしています。

同じ池の水がそれぞれによって見え方が変わってきます。魚にとっては(生活の場)としての水。恋人にとっては(憩いの場)としての池の水。鳥にとっては(餌のある場)としての水 子供にとっては昔溺れた(恐怖の場)としての水。このように同じ水でありながらその立場によって見え方や感じ方が変わってくるものです。事象の説明ではありますが これを『一水四見』といいます。また水は災害の元であると同時に生命の元です。水は気体液体固体と姿形を変え私たちの生命の源そのものです。物質の三態からもわかりますように同じモノでありながら姿かたちを変え別のモノの様に変化するのです。 法身.報身.応身と仏も姿を変えるものです。



話しが教義的な様相を呈してきましたので、このことについては別の日に記述することと致しましょう。今回は同じものが立場によって違って見えてくるという事について話をさせていただきました。自分の立場からだけではなく自分の好き嫌いからだけではなく一歩 距離を置いて物事を見てゆきたいと思います。



本年度も自分自身の感じ方を綴りまとめとすることにしてゆきたく思います。

宜しくお願い致します。裏山の兎の足跡を撮りました。


令和五年一月十日    上の畑観音 別当 薬師寺住職 渡辺隆良


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