「雪に思う」 


今朝の除雪の中に、いずれ消えてゆく雪をなぜ消すかという事について思いが浮かんだのでその続きを書くことにしましょう。

昔(昭和三十年から五十年頃)の冬の尾花沢は深い雪の中に埋もれていました。愈々雪が降ってくると男たちは出稼ぎに行き子供たちは雪踏みに精を出しました。隣の家から隣の家までの道を確保するために除雪ではなく雪を踏み固めるのです。人が歩く所は踏み固められてだんだんと固くなり歩かないところは柔らかいままでした。馬の背のような道と言いますが丁度背骨のある場所は固いけれども両脇はあまり人が歩かないので柔らかく道を踏み外すと途端に足が雪道の中に深く入り込み いわゆるぬかる状態になっていたものです。子供の頃は右隣の家から私の家までは二十メートルなのに私の家から左隣の家までは三百メートル程もあり藁で編んだ雪踏み用の 膝上まである大きな雪踏み俵を履いて右足を上にあげる時には右手を一緒に持ち上げ左の足を持ち上げる時には左手を上げて俵で雪を踏み固め一歩一歩前進し道を作ったものでした。少しでも広く道を付けようと行きは右側を作り帰り道は右足分を多く踏み固めて帰るのです。すると後ろにできた踏み固められた雪道は馬の背の部分が広くなり三本足で歩いて来たような跡が付くのです。その後ろの足跡を見ながら汗をぬぐいちょっとした充足感とやり終えた満足感を味わってから小学校に行く毎日でした。今となっては思い出としてしかありませんが懐かしい記憶です。

平成令和の今はブルドーザーが除雪をしたり消雪道路が普及したり当時の面影はありませんが いずれにしても未だに雪との関係は続いています。

時代が進み、自然との関わり合いは変化してきておりますが関わり合いがなくなることはありません。関わり方が違ってきているだけです。自然が変わってきたのではなく私たちが変わってきたのです。私たちの都合によって変化させてきたのです。変化に対応できなければ時代遅れという事で生きづらくなってきます。

私たちは関係性を生きているのです。関係性が自分にとって良ければ自分は幸せであると感じるのです。自分にとって都合が良いというところに立って幸せと感じているのです。この考え方感じ方は欧米的な考え方感じ方であって本来の日本人が持っていたところの考え方感じ方ではないように思います。

私たち日本人はみんなの幸せが自分の幸せ 自分一人ではなく関係性の中での幸せを感じていたのです。戦後この考え方感じ方は否定され個人の幸せが全体の幸せという考え方感じ方になってきました。順番が変わったのです。個(個人)が優先され 公(全体)が後になったのです。

この個と公の関係は右か左かというような関係ではなく平面と立体の関係であるのです。フラットな平面上での関係ではないのです。

本来 個と公は対立するものではなく、個は公に含まれるという関係にあります。丁度立体の中に平面が含まれるように個人の幸せと公人の幸せとは親子のような関係であるのです。子供の幸せは親の幸せであり親の幸せは子供の幸せである様な関係が日本人の幸せの感じ方でした。

別の例えを言いましょう。みかんのひと房ひと房を個人としましょう。食べる時にはひと房ひと房を食べておいしいと感じますが、みかんはひと房ひと房をもってみかんというだけではなく一個のみかんの中に何房も入って一個のみかんと呼びます。その一個のみかんは一本のミカンの木の枝に実をたわわに成らせています。もっと言えばミカンの木は大地の上に根を張り太陽の光や水や色々な要素によって身をならせているのです。

そのようにして個と公は切り離すことができないのです。

しかし今私たちは個を優先し公を蔑ろにする傾向が強くなってきています。結果として全体が不幸になってゆくという状況を考えなくてはいけません。

ここに先人の知恵が 或いは先人の智慧が必要になってきているのです。

自分が正しいという時の正しさの基準がどこからのモノなのか。時代が変化する時に色々なことが起きてくる事でしょう。何を選び何を捨てるかという事が現実的に必要になってくる時代が来ることでしょう。そして現在来ているのです。

正に 学びが必要になってきています。

難しくなってきましたのでこの辺でペンを置きましょう。







令和五年一月二十日  午前 薬師寺住職  渡辺隆良


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