一ケ月ぶりの文章になります。
雪を満載に積んだ除雪用の往来ダンプも数が減り 愈々農家の方々は春の準備に取り掛かりました。雪囲いを取り 軒周りを片付け農作業の準備に取り掛かりました。西瓜農家は乾いた畑から順番に平に畝を作り西瓜を植え付けるためのビニールを掛ける下準備を始めました。鶴岡の稲作農家の方々は種を温かい温泉の流れる水につけ発芽を促すために浸し始めたとのニュースも流れました。
雪が降ってくる時期には雪囲いを始め冬に備える準備をし 雪が降ってくれば毎日のように除雪をし通学用の或いは通勤用の道路を確保し雪が消えれば軒先を片付け雪囲いを外し元の位置に戻し、太陽が少しづつ高くなり陽が長くなってくるにしたがって農作業で外に居る時間が少しづつ長くなります。
花粉が飛んだり黄砂が飛来したり色々あるけれども全体としては又同じ一年を繰り返す。そのようにして私たちは何年も何百年も何千年も暮らしてきました。まさに「ルーティーン」です。
宇宙が誕生してから百三十八億年。地球が誕生してから四十六億年 諸説ありますが人類が誕生してから一億年、古代文明が開化してから約一万年  エジプト メソポタミア インダス 黄河長江 と世界四大文明と現在言われているわけですが、超古代と云われているものを数え上げればきりがありません。現在学んでいるものだけが全てではないと思いますが色々な発見がなされ人類の歴史が見直されていることも事実です。現在の常識というか、知っていることに執着することなく心を素直にして新しい発見に耳を傾けなければなりません。今の知識や経験に胡坐をかくことなく今までに学び これからも学び続けなければなりません。
何故なら私たち人間は発展の中にこそ幸福を感じるからです。昨日より今日、今日より明日というように向上の中に喜びを感じワクワクするのです。逆に同じことを繰り返すことに安定感を味わい平安を感じるのも事実です。
調和と発展のバランスの中にこそ本当の意味での「幸福」があるのかもしれません。個人においても社会においても同様の事が起こります。社会の発展の中に個人の幸福もあり同時に矛盾を内包し悩みが生まれてくるというものです。過去の文明を考えてみますと覇者の都合により個人が踏みにじられることもあれば個人の救済が社会を変えることもあるのです。秦の始皇帝やアレクサンダー大王やインドのアショーカ王の様に。
個と全体の調和の中に、また発展と安定、進歩と停滞という矛盾の中に幸不幸が交差するのです。この世というものは空間の世界ですので自分に対して彼方というように「相 対」する世界です。空間的に時間的に分かれているわけですがより高次においては全てが調和されています。平面的な調和ではなく立体的な調和でもなく、全てもなく個もなく『総て』なのです。新しい言葉を作らなければなりません。しかし言葉を作った段階で違うものになってしまうのです。それでも言葉で説明しなければならないのです。その場合の言葉は既に「言語」ではありません。
「人類は平等です」何に於いて平等なのかというと「愚かさに於いて」です。
今日はこの言葉をもってまとめと致しましょう。

令和五年四月十六日(日) 上の畑観音 別当 薬師寺住職 渡辺隆良


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