田植えの頃


五月も半ばになり暑い日が続くようになりました。朝のニュースには三十度を超える日が続くという報道がされています。
周りを見てみますとトラクターが大きな音を立てながら盛んに道路を往来しています。そんな中車で街中を走っておりましたら中古のトラクターが二百五十万で売りに出されておりました。農家を止める人が売りに出しているのでしょうか。。

私の処も、昨年まで約二反歩の水田を近くの農家に作ってもらっていたのですが、今年から作れないとの報告を受け現在そのまま耕すことなく放っておかれています。多少の行政手続きもあるようなのですが一年間は別の人に耕してもらう事だけで精一杯だろうと考えています。一度荒れてから再び元の状態に戻すには相当の労力が必要になると考えられますので耕すだけはしておこうと思っています。
近くの人の話では蕎麦や西瓜や野菜などを作ると再び水田に戻すことが難しいという事らしいです。いずれにしても農業委員会に相談をしてどのようにするのが良い事なのかよく話を聞いてからと考えています。
そのような思いを持ちながら近くを車で走っていると 思いのほか耕されることなく荒れたままの田圃の数が多いことに気がつきました。特に山の中に入ってゆきますとその数は多くなり柳の木が太くなって茫々として荒れた雑木林が多いのに驚き 昔の山合の美しい棚田の姿も消えていました。手入れされている林や田圃が 昔の里山の美しい景色を作り出していたのだと思うとちょっと残念な気が致します。農業機械の大型化と効率化がそうさせるのでしょうか。町や村の人口減がなせることなのでしょうか。人の手が入っている所とそうでないところを比べてみるとやはり人の手が加えられているところが美しいと感じます。自然のままが良いというけれど、それはそれとしてやはり手入れがちゃんとしているところを美しいと感じるのは私たち人間の側のわがままなのでしょうか。
そのようなことを思いながら田植えの終わった棚田から遠くに見えてくる残雪の葉山や未だ白い雪に覆われた月山には何とも言えない美しさを感じます。頬を撫でる柔らかく爽やかな春風を受けながら棚田の脇のわらびを採ってきました。両手いっぱいになったので今日は蕨のお浸しです。
山の帰りに知り合いの農家の人に会いました。話しかけてみると今年は道路わきに背丈の低いひまわりと様々な花を植えるという事です。都会から銀山温泉にやってくる観光客に花を見ていただき心豊かになっていただきたいとスイカやカボチャだけでなく、直接お金にはならないけれども目で楽しんでもらいたいという計らいです。何となく嬉しくなるお話でしたので紹介させていただき本日の法話にいたします。






令和五年五月二十一日(日) 上の畑観音 別当 薬師寺住職 渡辺隆良


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