家の裏に猿  
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銀山薬師寺 本日の法話  
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三代目子ネコ  
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薬師寺に三代目にねるネコが生まれました。猫たちの様子です。
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本日の法話を追加しました。  
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久しぶりの法話となりました。

おはようございます☀
暑い毎日ですが、ご健勝にてお過ごしの事と拝察いたします。

昨日、厚木から若い人が總持寺を訪ねてきました。
真面目な方で長廊下とても綺麗ですねと言った後、坐禅は何故するのですか?と問うてきました。

毎日するからするのです。と答えてあげました。
意味が分からないような感じだったので長廊下の掃除の話をしてあげました。

掃除はなぜするのですか?と逆に若い会社員に質問すると『綺麗にする為』と云う返事が来ました。当たり前の答えです。

そこで長廊下を掃除する修行僧の中で綺麗にする為やっている人は誰一人いませんよと云うと驚いていました。

そこで何故そうなのかについて話を続けました。

修行僧は、朝早くに振鈴と共に起こされて坐禅をして朝課随喜をして朝の食事(粥)を済ませ そして掃除。特に今の時期は暑いのでヘトヘトになっています。

そんな状況下で余裕を持って 綺麗にしましょうなどと云う心持ちにはなれません。
しかし、廊下は綺麗になっているでしょう。と言って次の様に話を続けました。

綺麗にする為の掃除は目的が『綺麗』にする事であり 掃除はその『手段』になっているのです。
だったらルンバでいいよねと言いました。

長廊下が綺麗なのは毎日するから結果として綺麗になっているのです。

つまり皆さんの掃除は『目的』と『手段』が離れていて目的達成の為にやっている事なのです。
これを『行事イベント』といいます。
修行僧が行っているのは目的達成の為に手段を行じるのではなく目的と手段が離れる事なく『同時』であり『同事』なのです。
これを『行持ルーティン』と云い、行い持つと云い
『只管』と云うのです。
只管とは『ただ』と云う意味です。
修行僧は『只管掃除』をしているのです。
しかし、若者は目的の為に手段を使うと思っている様です。
普通はそうです。目的に向かって努力をするのですから。目的が正しいか正しくないかは別として学校も会社も社会も全てが目的に向かって努力しているのです。

修行僧の掃除は綺麗にする為にしているのではなく『掃除する為掃除』しているのです。
同じ様に坐禅は何かに向かってするのではなく坐禅する為に坐禅をするのです。
と話をしてあげました。目から鱗ですと言っていました。

ある目的に近づく為に坐禅を行じるのではなく、手足を使わず、思索を巡らさず、自分の内に起きてくる様々な変化を感じ取るのが『身も心をも ついやさず 仏の方より行われて 仏の家になげいれて・・・』なのでしょうね。

この構造が分からないと 目的達成ならないと心にストレスが溜まりカウンセリングルームに向かう事になりますね。
このストレスの使い道を間違うと悪影響を及ぼします。

西洋的なカウンセリングに関しては思うところがありますが今回は触れないでおきます。

何れにしても私たちはつかむ事(目的達成)だけに心を費やしてしまいがちですが放つことから学ぶべきなのでしょうね。

厚木の若い方は自分の仕事のやり方に思いが及び、目的は目的としてあるけれど 目の前の仕事を一所懸命にやる事が全てなのですねと言って喜んで帰って行きました。

帰りしなに頭の声だけでなく体の声や心の声も聞きながら自然(じねん)に頑張りましょう。と添えてあげました。
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雪万燈を開催しました。  
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本年も、雪万燈を開催しました。

時期が少し遅れましたが、皆様のご協力で綺麗な雪万燈が完成しました。
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